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Posted by namjai at

2011年11月27日

洪水

ガイヤの夜明けを見た。
http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-8380.html
イサーンに住んでいたら実感しない、
洪水の現状が映像に映し出されていた。

わしが思っていたより、
現場は酷い。

でも、今まで書いてきたが、
タイの洪水はある程度想定できるのだと思う。
水は低いところへ流れる。
誰もが分かる原理。

徐々に溢れた水がどこへ行くか??、
自然が相手なので難しい面はあるとは思うが、
そんなに予想は難しくないと思う。

テレビでは、
翌朝には洪水が来るとの予測で、
トレーナーやトラックを段取りして金型などを移送したが、
実際には浸水しなかった日本企業の苦悩を放映していた。
その損失は大変なものだろう。

東日本大震災もそうだが、
過去の例を尊重すれば、
人が安全に住めるところは限られているのだと思う。

しかし、産業革命以降、人口は爆発的に増え、
人間は本来住むべきはないところへ、
不完全だが想定内の人工的な対策をして、
住み出した面があるのだろう。

今、脱原発を代表される議論に、
増え過ぎた人口への考慮がない場合が多いように思う。

今の人口を養うには、
高効率なエネルギー源が必要なことは明らか。

わしが10年前に行った最貧国のネパールでは、
色々と面白いことがあった。
ヒマヤラ山脈が望めるポカラに行き、
目的もなく歩いていると、
川では洗濯、
山で芝刈りという、
物語の世界に出くわしたものだ。

芝刈りにきたおねーちゃんの手伝いをしたが、
そのおねーちゃんが綺麗で、
付いて行きたくなった思い出がある。

日本では薪でエネルギーを得るということは、
まず効率的でない。
もしそんなことをすれば森林は無くなってしまうに違いない。
逆に地球に厳しい。

村で遊ぶ子供の写真を撮り、
翌日現像をして持って行くと、
その家族にインサントラーメンを振舞われた記憶が、
今でも忘れられない。

わしは日本は現在とは違う、
新しい価値観を標榜すべきたど思っている。
アメリカ型資本主義が第一だとは思っていない。

それにはタイを初めとする東南アジアの生き方が、
参考になるのではないかと思っている。

戦後、アメリカに追い越せ追いつけと、
我武者羅になった日本社会は、
アメリカの価値観が植えつけられている。
その転換はなかなか難しい。

様々な世界に飛び出し、
様々な価値感を体感し、
様々な常識に触れることは、
日本人の常識を破ることになるだろう。

日本人には類まれななる、
対応力でがある。

人を思いやる優しい気持ちがある。

日本の長い長い文化を尊重しながらも、
世界で通用する貿易は必ずあると思う。

先日、
洪水の被害に合いながら、
笑って過ごしているタイ人に、
世界が驚愕している。。。。。
ニコ動で青山繁晴氏が言っていた。

思わず笑ってしまった。

それは必ずしも正しいとは思えないが、
この逆境へ対するタイ人の楽観的な態度は見習うべきだと思う。
日本は真面目過ぎる。

マンペンライ。
良い言葉だ。。。。。。  


Posted by ひよこ at 01:04Comments(1)遠きにありて思ふもの

2011年11月26日

盗難

大使館を出たところで、
「フジテレビですが、よろしいですか」
不意を付かれ、
インタビューに答えることに。
「何の用事で来られたのですか?」
「パスポートの申請に来ました」
「それは洪水で無くされたのですか?」
「全く関係ありません」
「洪水が迫って来ているのはご存知ですか?」
「今朝、夜行バスでイサーンから来ました、
普段は6時間半ぐらいですが、
10時間ぐらい掛かりました。
普段と違う道を通っていましたが、
それでも道は川の様でしたよ」

日本のテレビ局が取材しているぐらい、
洪水の真っ只中の11月始めにバンコクへ出た。

何故なら、
パスポートを含む財布を引ったくられたから。

10月初旬のこと。

昼間から酒を飲み続け、
泥酔した夜半、
歩道の植え込みに腰掛けた。

余程、酔っ払いだったのだろう。
おばさんが近づいて来たと思ったら、
先ほど金を支払い、
膝の上に置いていた財布を、
引ったくって行った。

にわかには何が何やら分からなかったが、
血の気が引き、
すぐに追いかける。
しかし、無駄、
誰もわしを相手にしない。

近くに交通整理をする警官がいたので、
「今、泥棒に合った」と訴えるが、
何食わぬ顔で、
「警察署に行きなさい」だけ。

わしは盗難防止というより、
酔っ払っての紛失防止のために、
財布はズボンと紐で結んでいる。
しかし、その時はベルトループが千切れてしまった。
はあ。。。。。

財布の中身は、
パスポート、キャッシュカード、現金。
痛い、余りにもアホ。

ポケットに700Bぐらいあったのがせめてもの救い。
さてどうしよう。。。。。
酔っ払った頭では、
妙案は浮かばない。

歩道に出ている屋台で、
麦酒を注文。
気持ちを落ち着かせる。

ホテルに泊まるお金はない。

そこで、うとうとしながら、
夜明けを待つ。

そして、ポリボックスに行くと、
ルンピニー警察署まで行けとの事。
近くのバイクタクシーで向かう。

警察署では、
盗難証明書を発行してもらわなければならない。
犯人を逮捕しようとは微塵も感じられない態度で対応してくれる。

日本領事館は歩いてすぐ。
係員に説明すると、
これも慣れた様子で、
「タイに滞在しているのなら、新規発行して下さい。それには戸籍抄本が必要です」

日本から送ってもらうしかない。
仕方なく、
そのままバスターミナルへ行き、
帰宅。
残り銭はほとんどゼロ。

実家に連絡して、
戸籍抄本と再発行されたキャッシュカードを郵送してもらうように手配。
キャッシュカードの再発行は手間がかかる。

結局、郵送されてきた10月下旬まで、
霞を食べ生き延び、
11月初めに再度上京。

その時は丁度、
ついにバンコクまで浸水した折。

どうなるかと思ったが、
まあ、バスは何とか到着し、
都心まで行くも、
洪水の影響はほとんどない。

困ったのは、
飲料水を確保するのが難しいのと、
コンビニの品数が少ないのと、
観光客が減って、
おねーちゃんにもててもてて思わず散財してしまうぐらい。

パスポートの申請に行くと、
面談室に通され、
事情説明。
「本来なら4日後ですが、
特別に当日発行しましょう」と、
もったいぶって言われる。
もちろん、
「ありがとうございます。助かります。
よろしくお願いします」と低姿勢で対応する。

その後、昼間から麦酒を飲み、
宿を取ったら、
夜行バスの疲れもあり、
思わず夢の中。
起きたら受け取り時間は過ぎていた。

翌日受け取りに行くと、
嫌味を言われたが、
何とかパスポート受理。

5800バーツもする。
盗まれたパスポートは2017年まで有効だったが、
まあ、ページの残りが4割ぐらいだったので、
しゃあないな~、と自分を慰める


わしはO-ビザでタイに滞在している。
新しいパスポートには、
もちろんその記載はない。

タイの入管まで行き、
転載しなければならないらしい。

しかし、近ころ転居した入管は浸水して、
11月から昔の建物で手続きを行っているとのこと。

その日は所要があり、
翌日、入管へ向かう。

着くと人が溢れている。

仮の受付で、
領事館から発行してもらった書類や、
申請書を提出する。

するとおねーちゃんがパソコンのところまで行き、
何か調べている。
しばらくして持って来たのは、
プリントアウトした、
わしの写真が載った、
入国情報。

おおおおお~。
やるの~。

係員のオヤジは、
これらの書類を持って、
出国しなさいと言う。

ビザの期限は後数日。

領事館から貰った案内には、
ここでパスポートへ転載してもらうよう書いてある。
しかし、何もしない。
余りにも混雑しているせいか。。。。

不安に思いながら、
気が弱いくせに、
自尊心の強いわしは、
分かったふりをして退出。

それから、ラオスに出国するまで、
ドキドキ。

数日後、コンケン→ラオスの国際バスに搭乗。
その日がビザの最終日。

通常、バスは入管で手続きを終えるまで、
待っていてくれ、
そのバスでラオスまで行く。

恐ろる恐ろる書類とパスポートを差し出す。
すると、「あの建物に行け」と言われる。

行ったところでは、
お偉いさんが暇そうにしている。

事情を説明すると、
何か面倒臭そうに、
手続きを始める。

ほっと一安心。
どうにか出国できそう。

でも後、どのくらい時間がかかるのだろう。
バスは。。。。。

外を覗くと、
車掌がわしを探しに来たのか。
こちらを見ている。

「わしは駄目、先に行ってちょ」
とジェスチャーで伝える。

はあ、これでビエンチャンまで出るのに、
またお金が掛かる。

自業自得。仕方ない。

翌日、ラオスのタイ大使館へ行き、
新しくO-ビザを取得。

これで、何とかタイに滞在できる。
しかし、何だかタイも飽きて来た。

嫌なことが重なっている。

やはり緊張感がなくなったのであろう。
酒での失敗が相次いでいる。

もちろん刺激が薄らいでいる。

東南アジアに初めて来た頃の、
楽しさは今はない。

盗難のアジはトムヤムクンより辛く酸っぱい。。。。。。  


Posted by ひよこ at 23:36Comments(0)

2011年11月22日

当ブログを読んで頂いている奇特な方は、
わしのことを大酒飲みと思われているかもしれないが、
それは少し違う。

他人さまも読んで頂くブログなので、
少しでも楽しんで貰いたいという、
スケベ心もあり、
嘘ではないが、
自分なりに面白おかしく書いている面がある。

実際には、
小心者なので、
飲んで心を休めている面が大きい。
だから、平常心のときは飲まない。
旅先とか知人友人と会ったときとか、
今日みたいに特に寂しいときしか、
酒に手を出さない。

もちろん健康に気を使っている面もある。

そんなわしだが、
酒に対する思い入れは強い。

それは、やはり酒を飲み始めた原体験によるものが大きいと思う。

わしは高校時代から冷めた面があった。
今一つ情熱を持って熱中した記憶がない。
手前味噌だが、
わしは器用だ。
何をしても人並みにはこなせるようになる。

だが、それより深く熟練の域に達することがない。
いわゆる器用貧乏なのだと思う。

だから、スポーツでも勉学でも仕事でも中途半端、
なので大学進学も九州で一番中途半端なある大学に通った。

その大学には、
寮でもアパートでもない、
指定寮という制度があり、
家賃もまあ安いということでそこに住むことになった。

指定寮とは、
民間が経営する下宿やアパートなのだが、
大学が入居を斡旋する制度で、
学生は入居を希望すると、
どの指定寮に入れるかは分からない。

引っ越してどんな所か初めて分かる、
そんな中途半端な感じだった。

わしが入った寮は、
指定寮の中では恵まれていた。
6畳一間に流しと押入れが付いていたからだ。
もちろん共同トイレ、共同風呂だったが。。。。

酷いところでは、
一部屋2畳ぐらいの指定寮もあった。
確か栄光寮。
今から考えると人が住むような所ではない。

入居と入学式は親が一緒だったと記憶している。
その親が帰ったときに、
寮の先輩から声が掛かる。
1歳2歳の年の差は今では全く違いはないが、
18歳のときは違う。

法学部の村上さんという一学年上だが
3歳年上の怖い人が部屋に来て、
近くの飲み屋に連れ出された。

その年の新入寮者は多く、
確か定員20名なのに7人。
その全員がその時にいたかどうかは記憶にないが、
連れて行かれたのは、
寮の先輩がバイトをしている飲み屋。
棚に並んでいるのは白波のみ。
カウンターだけの小ぢんまりとした店。

メニューもほとんどない。

そこで、
最初に挨拶に行くのは、
もちろん上級生から。

挨拶に行くと、
コップ並々に白波を注がれる。

それ~イッキ、イッキよいよいよい♪♪♪♪
という乗りが良い合いの手、、、
がある訳ではなく、
「いただきます」
という一声を言ってイッキ。

飲み慣れてない若人にはキツイ。

先輩から「店中で吐くな、外へ行け」
と厳命。
隣の空き地まで走る。

それを先輩の数だけ繰り返す。
キツイ。
学問は中途半端な大学だったが、
酒に関しては、
有数の硬派だったのでないだろうか。

そんな伝統がわしが大学生だった頃にはまだ残っていた。
だから、わしは身体的には酒が強い方だとは思わないが、
男なら酒を飲まなければならない!!という、
今なら時代錯誤の意識が刷り込まれてしまった。

やがて中堅な規模の土建屋に就職したが、
大学時代の経験は生かされた。

今では考えられないのかもしれないが、
その頃は就業時間が終わるとすぐに、
どこからか声が掛かり、
小銭が集められ、
酒を買いに行かされる。

わし以外の同僚は大阪の大学出で、
何故かまじめだったので、
自然とわしの役目になる。

仕方ないので、
仕事を中断し酒の買出し。
もちろん、付き合う。

それで、随分と可愛がってもたった。
わしは集団行動が苦手だと自覚している。
人に合わせるのが嫌なのだ。

でも酒のお陰で何となくうまく行ったように思う。

その反面、酒の失敗は事欠かない。
色々馬鹿をやった。

それで、出世できない面もあったように思うが、
今でも日本に帰ると、
かつての会社の人が、
心暖かく迎えてくれる。

一緒に飲みに行っても、
何故か「お前に出させる訳にはいかん」と言って、
奢ってくれる。
タイのことをどう思っているのだろう。
中には折角日本に来ているのだから、
「これで遊びに行け」と援助までしてくれる。
情けない面もあるが、
涙が出る位、
良い会社に居たものだと感動する。

そんなわしだから、
今で酒は好きだ。

しかし昨今、酒を飲みて過ぎての失敗が多い。
それを歳を取ったせいだとは思わないが、
精神的な問題なのかもしれない。

兎に角、翌日記憶にない場合が多い。
先日も目覚めたら店のベンチ。
タイは熱帯なので、
凍え死ぬことはないが、
いかにも無用心。

わしは、
宿を予約して旅をすることは少ない。
最小限の荷物にして、
飲み歩き、
呑み疲れたところで宿を取る、
そんな旅が好きだった。

緊張感がる時はそれで良かったが、
今は宿を取る前に潰れてしまう。
気が付くと、
変なオヤジに起こされている。

本当に馬鹿だ。

野外で寝ていて、
蚊に食われ、
寝るに寝れず、
バスターミナルまで行ったことが、
何度もある。

先日、バンコクに行った時は、
泥酔して歩道に腰掛け、
ぼーっとしている間に、
引ったくりに会ってしまった。

それで、結構大変な目に。。。。

やっとそのことも落ちつたので、
気が向いたら、
その顛末も書きたいと思う。

今、わしはタイに永住したいわけでもなく、
日本へ帰りたいわけでもない、
中途半端な身。
わしらしい!!

今日は、
先日ラオスから買って来た、
一本100円もしない焼酎を飲み、
中途半端に良い気分。

オヤジらしく、
昔を振り返ってみた。

まったく今の若い者は。。。。。。



  


Posted by ひよこ at 02:09Comments(0)

2011年11月20日

村社会とTTP

自由貿易、国際化、改革。
日本は貿易立国でもあるから、
これらに賛同する日本人は多いと思う。

しかし、それらが自分の身に降りかかって来るかもしれないと分かると、
途端に反対する。

日本ではTPPの話題で盛り上がっているようだが、
今になって反対が多くなっているのは、
総論賛成各論反対、
そんな日本人気質が背景にあるように思う。

日本は村社会だと言われる。

島国の日本は災害大国で、
日本人は農耕民族である。
寒い冬もある。
囲まれた海のお陰で、
外国からある程度守られてきた。

日本人は、
日本風土に根差したコミュニティーを創り上げてきた。
風土が日本人気質を育んできた。

災害に見舞われても、
村社会で助け合い生きてきた。
村八分みたいな制度もできた。

だから、全体よりも局所。
自分の属する組織に忠誠を尽くし、
そのしきたりに従うことが最優先されがちだ。

それは今でも日本人の根底に残っているように思う。

わしもサラリーマン時代には、
会社の為にという意識は強かった。
その頃は、談合に対する批判が多かったが、
必要悪だと思っている社員がほとんどだったと思う。

偽装問題など会社の為に法律を犯す人も少なくない。
今はコンプライアンスとかいうのが、
会社でも流行っているようだが、
これも、会社を守るために、
コンプライアンスしましょう、
と思っているのではないか。
今の日本を知らないわしはそう訝しんでしまう。

今回の東日本大震災を見ても、
政府は全く機能しなかったのに、
秩序が守られたのは、
ある面、この村社会が機能したのではないだろうか。

どじょう総理は、
案の定、リーダーシップが取れないで、
批判されている。
鳩ポッポと馬菅は、
人格そのものに問題があるのではないかと疑うが、
どじょう総理はそうでもないと思うがどうなのだろう。

世界から賞賛された被災者。
献身的に援助活動をした、
自衛官に警察官、消防士。
ボランティア。
日本人は素晴らしいと思う。

その一方で、
同じ日本人でありながら、
政治家、官僚、マスコミ、東電、原発村は批判の的である。
もちろん、批判される立場なので、
ある程度仕方ないし、
批判が真実でない場合も多いとは思うが、
それにしても不思議である。

政治家や官僚、ジャーナリストになった大半の人は、
有能で大志を抱いていた筈だ。
東電や原発村だって、
有数の研究者や技術者が集まり、
経営者も財界の一線級のはずである。
だいたい一昔前までは日本の官僚は一流だと言われていた。

これはいったい何だろう???

一つはやはり村社会意識があるのかもしれない。
大局を見るのが苦手な民族なのかもしれない。
特に意識していないのかもしれないが、
自分の属する組織を守ろうという力が働くのだろう。

それに、長年に渡って作られてきた制度の問題なのだろう。
あらゆる制度が疲弊しているのではないだろうか。
例えば、官僚は事なかれ主義と言われるが、
そうなる何かがあるのだろう。
優秀で高潔な政治家や官僚の前には、
どうしようもない高い壁が立ちはだかり、
自分自身では良いことをしていると思っている人が、
足を引っ張っている。
そんな構図があるような気がする。

黒舟で明治維新を成し遂げ、
敗戦で焼け野原から戦後復興を成し遂げた日本。

TPPにそこまでの力があるとは思えないが、
世界で戦える制度に変える切っ掛けにはなるのではないだろうか。  


Posted by ひよこ at 19:55Comments(0)遠きにありて思ふもの

2011年11月14日

酒飲み

バンコクのある繁華街。
ある日の昼過ぎ。

観光客が行き交う歩道に面し、
昼間からシャッターを開けた、
開放的なバーが並び、
派手なおねーちゃん達が歩道側に陣取り、
観光客を気だるそうに眺めている。

「20時までハッピータイム。ローカル麦酒70B(記憶曖昧)」
と掲げられえた店に立ち入る。

すぐには誰も寄って来ない。
キョロキョロと店内を眺め、
好みのねーちゃんを探し、
適当な場所に腰掛ける。

近くのウェイターに麦酒を注文。
いつも飲む麦酒は安いビアーアーチャ。
しかし、ここはどの麦酒も同じ値段なので、
当然、ビアーシン。
我ながらセコイ。
こんな所が、
いつまで経ってもうだつが上がらない要因なのかもしれない。

断熱材の円筒容器に入れられた、
小瓶の麦酒が運ばれてくる。

瓶の口から直接、
乾いた喉に苦い黄金の液体を流し込む。

波打つのように、
ゆるりと喉に届き、
二日酔い気味の胃に吸収される。

上手い!!

コップから飲む方が喉越しは良いが、
こういう場では、
瓶で飲むのが良く似合う。

ほっと、息を吐く。
頬辺りに血液が巡って来るのが分かる。

欧米人向けなのだろうか、
テーブルも椅子も位置が高い。
片肘をつき、
ちびりちびりと黄金水を口に運び、
辺りを観察する。

わしがタイに嵌ったのは、
こんな一時に、
何とも言えない魅力を感じたからかもしれない。

もちろん、タイに初めてきたときの様な新鮮味はないが、
日本では経験したことがない、
緩い空気が気にいっている。

客のほとんどは欧米人。
友達と陽気に喋っている野郎も居れば、
おねーちゃんを口説いている野郎もいる。
店の奥ではビリヤードに興じているおねーちゃんと野郎ども。
(こういうバーには大抵ビリヤード台が置いてあり1回20B。
話に詰まると、おねーちゃんが誘ってくる)

わしは一人、
哀愁を漂わせ、
麦酒を追加する。

この店は、
矢鱈とおねーちゃんが寄って来ないのが良い。
一人で飲むより、
おねーちゃんと一緒の方が楽しいのは、
わしも男。

だが、おねーちゃんに易々と奢る気になれない。
ねーちゃんのドリンク代は高い。
100B以上する。
一部がおねーちゃんの懐へ入るのだから仕方ないのかもしれないが。。。。

タイに旅行で来ていた時は、
金銭感覚は日本の飲み屋。
南国の開放的で楽観的な雰囲気に、
底抜けに明るいおねちゃんたち。
当然、財布の紐も緩い。

今のわしはタイの地方都市に住み、
飲むのは、雑貨屋前のコンクリート製の机で、
定価で買ったビアアーチャ。

地方に比べ首都バンコクは物価が高い。
物価が当分の間、
ほとんど変わっていない日本とは違い、
タイはインフレ。
わしの記憶も変わらず、
旅行のときに感じた、
安いな~という感覚のまま。
だから余計に高く感じる。

今頃は、このような場で、
あの頃のように、
心の底から楽しむことが出来ない場合が多い。

酔っ払い、
良い気分になり、
ついつい、おねーちゃんに奢ると、
場は盛り上がる。
酒の量が増える。
気分は更に大きくなり、
おねーちゃんの言いなり。
更に酒の量は増える。
気分は最高。
会計も高額。
また、馬鹿やってもうたな~と重い気になり、
しぶしぶ、支払いを済ませることが、しばしば。
いやいやながら20B札ぐらいのチップを置いていく、
気取った自分が更に嫌になる。

翌朝、床に脱ぎ捨てた、
ズボンを拾い、
ポケットから残り金を数え、
二日酔いに拍車を掛ける。。。。

それでも、
懲りずにまた飲みに出るのは何故だろう。
酒飲みとは学習能力が足りない人種なのだろうか。
あの楽しかった幻を忘れられないのだろうか。


偏見だろうが、
欧米人の飲み方はスマートに見える。
楽しんでいるように見える。

日本人みたいな一人のオヤジ。
何人かは分からない。
隣の席につき、
麦酒を注文。
そこへ、おねーちゃんが挨拶に行く。
一瞥して無視。
嫌そうな表情。
好みの子でなかったのだろうが、
こんな遊びの場では、
いかにも野暮ったい。
断るにしても、
もっと方法があるだろう。

わしは粋でありたいと思う。
粋に飲みたいと思う。

ビアバーを何軒か梯子する。
奢って攻撃に、
一本だけ飲んで出ることも。。。

きっと、わしも嫌な顔していただろう。。。。。

「あんた、昨夜千鳥足で店の前を行き来していたわよ」
初めて入った店で言われる。

無防備。
緊張感がない。
ああ、何だか最近面白くない。
年を取ったオヤジの台詞。

やはりわしはただの酔っ払い。
格好良く出来ない。


ベトナム帰りの兵士たちの開放の場として栄えたと言われる、
タイのゴーゴーバー。
最初、入ったときの衝撃は今も忘れられない。

今はそれ程楽しいとは思わないが、
折角バンコクへ来たからと、
ついつい探索してしまう。

こういう場では、
散財しないと、もてない。
面白くない。

逆に金があれば、
こんな楽しいところは滅多にない。
特に普段もてないオヤジには。。。。

目の前で、
鼻の下を伸ばした白人ハゲオヤジは
おねーちゃんに囲まれ上機嫌。

おねーちゃん達もご機嫌取りに忙しい。
生活のためとは言え、
大変だ。

男も本能とは言え、
アホだ。

冷静に眺めていると、
哀れに思えてくる。
世の中の不条理に悲しくなって来る。

何でこの若い子たちはこんなことをしているのだろう。
本当に楽しんでいるのだろうか。。。。。
人生とは。。。。

昨夜、その白人のように、
おねーちゃんに囲まれ、
超ご機嫌になっていた、
自分のことを思い出し、
興醒めしてくる。

こうなるともう駄目。
屋台で、
氷の入ったコップにビアチャンを注ぎ、
一気に飲み干す方が、
悪酔いしなくて済む。

バンコクには、
人の欲望が渦巻いている。
綺麗事ばかりではない。
人の影の部分が、
闇に包まれ、
反転して輝いている。
それが、バンコクの魅力の一つだと思う。
まだまだ抜け出せそうにない。

はぁ、こんな事を書いていると、
何だか現実逃避したくなる。
酔いたくなってきた。
飲みにでも行くか!!


  


Posted by ひよこ at 17:17Comments(0)四方山話