› イサーンで胃酸過多の日々 › 2011年08月03日
2011年08月03日
雲南省旅行記その9
ツアー2日目。
6時にロビーに下りるが誰もいない。
6時に宿の人が起こしに来てくれる。
6時起床だったようだ。
6時過ぎから朝食。
麺類とお粥と饅頭。
大量に残る。
7時ごろ出発。
ロープウェイで石卡雪山の頂き(4300m)まで行くらしい。
一応ジャージの上着は持っているが、
足元はサンダルで靴下もない。
バスはアウトドアショップみたいなところで停車。
これから山に行く人で一杯。
靴下を買ってバスに帰ると、
鷹が「酸素を買え!!」という。
そんな高所へ行くのかと少々ビビル。
確かに富士山よりも高いところへ、
ロープウェイで上るということは、
高度順応も出来ない。
高山病になるのは当たり前かもしれない。
60元もする酸素を購入してバスに戻ると、
防寒服を手渡してくれる。
お、こんなサービスがあるんや~と感心。
ロープウェイ駅で模型を使って説明を受ける。
昨夜一緒に飲んだ学生グループと一緒に乗り込む。
すると「壊れていて山頂には行けない」と言う。
どう言う事?
中間駅に着くと、
それより上に行くロープウェイは、
籠がロープから地面に下ろされている。
酸素は何やったんやーーーーー。
防寒服も邪魔。
中間駅には、
みやげ物屋があり、
草原が広がっていて、
ヤクや豚が放牧されている。
初日にバスに乗ったときから、
一際気になるグループがいる。
キャバ嬢みたいな派手なねーちゃん3人と、
40歳ぐらいの太目と細目のオヤジ2人。
ねーちゃんのうち2人は双子で茶髪と黒髪。
バスでは、
黒髪ねーちゃんと太目オヤジが一緒に座り、
茶髪ねーちゃんはもう一人のねーちゃんと一緒、
細身オヤジは一人。
黒髪ねーちゃんと太目オヤジはいちゃついているので、
一応カップルのようだが不釣合い。
細身オヤジはおねーちゃん達と距離がありそう。
ふーーーーん。。。怪しい。。。。。
一人ベンチに座っていると、
茶髪ねーちゃんが隣に座る。
二日酔いで気持ちが悪そうだ。
この子は、
見た目は20歳前半。
でも英語は全く駄目。
筆談をするも、
よく分からない。
でも、乗りが良い子で、
中国語で話しかけてくるくる。
よく見るとめっちゃ可愛い。
ついつい鼻の下が伸びる。
「レッツゴー」と唯一の英語で言うので、
この女性3人と一緒に高原を散歩。
気の利いた言葉の一つでも言えたらと思うが、
全く通じない。
ステージがあり、
ここでも民族衣装を着た人たちが踊りを披露している。
おばあちゃんが高原に椅子と机を並べ、
バター茶やパン、牛乳などを売っている。
茶髪ねーちゃんに勧められるまま椅子に座る。
丸い箱に入ったバターをたっぷりと円筒に入れ、
熱湯を注ぎ棒で突いてバター茶は完成。
山々に囲まれた高原で、
ヤクを見ながら、
民族衣装に身を纏ったおばあちゃんに、
バター茶を振舞われ、
円形のパンとチーズを食べる。
思えば遠くへ来たもんだ。
不思議な感覚になる。
来て良かった。
そう思い、
ねーちゃんの方を見ると、
オヤジと一緒に手を振って帰って行っている。
え~!!一緒に感慨にひたろうと思っていたのにーー:
代わりに鷹が隣に座る。
いらん!!
バター茶は、
こってりとしていて独特な風味。
身にしみる。
おばあちゃんは、
半分ぐらい飲むと、
直ぐに継ぎ足してくれる。
断っても継ぎ足してくれる。
何杯も飲んで、
お腹はタップンタップン。
この店によっていく中国人の観光客も、
何?みたいな顔をしていたので、
チベット文化は中国人にとっても珍しいのかもしれない。
時間になり、
鷹に幾ら払えば良いかと聞くと、
10元と言う。
おばあちゃんはそんなにいらないと、
言っていたが、
10元を渡す。
漢民族と少数民族の関係は、
一般的な暮らしの中ではどうなのだろうか?
と考えるがよく分からない。
少なくとも、このおばちゃん達は、
漢民族の観光客から現金収入を得るという構図はあるのだろう。
ロープウェイで下山。
バスに乗り、
次に寄ったところで、
バスにおばちゃんが乗って来る。
防寒服の回収。
ちゃっかり35元取られた。--;
まあ、そうやろな。
どうりで着てない人がいると思った。
頂上に行けないのに、
酸素に防寒服で金を使って、
腹立つな~と思っていたら、
ロープウェイ代50元は返金された。
昼食を取って、
バスは麗江に向けて山深い道路を走る。
山奥にも集落はあり、
棚田や段々畑みたいな農耕地が見られる。
学校とかどうしているのだろうか。
今まで見てきた都市部と、
これら農村部との格差は、
やはり大きいのだろうか。
トイレ休憩を一回挟み、
バスは4時間ぐらいで麗江へ到着。
ツアーで仲良くなった仲間。
メールアドレスの交換などしながら、
別れを惜しむのかと思ったら、
皆あっさりとしたもの。
ほとんど挨拶もなく順次下りて行く。
キャバ嬢たちも目もくれずに、
街中へ消えて行く。
今晩は一緒にキャバクラで遊びたかったのにーーーーー。
わしはまたまた古城に足を踏み入れ、
ママさんのところへ帰る。
荷物を置きシャワーを浴びて、
ロビーでビール。
やはりここは落ち着く。
そこに欧米人を連れた中国人のおばさんが入ってくる。
ママさんはお客さんだと思ったのか、
せっせとお茶を入れ持て成す。
欧米人は60歳過ぎのフランス人。
おばちゃんはガイドと思われ英語を喋る。
フランス人が行きたがっている所へは、
どうすれば良いか相談に来たようだ。
おばちゃんガイドが、
Haw long kiro?と言うと、
「キロは重さのことか?距離のことを聞くあらキロメートルと言わなければならない」
みたいな事を言い出す。
何やこの偏屈なオヤジは。。。
今時フイルム式のカメラを首に下げて自慢しだすし。
世界には色々な人がいますね~。
「シャングリラは良かったよ。チベット様式のお寺もあるし」
と言ったら妙に納得して出て行った。
何や泊まらんのかい。
旅先の事を聞くなら旅行会社に行け~。
ママさんが「バーに行こう!!」と誘ってくれる。
お、わしに気があるんかい!!と浮かれていると、
スキンヘッドのオヤジも一緒。
近くのバーへ行く。
中庭で生演奏のバンドが入った、
お洒落な飲み屋だ。
ママさんはスキンヘッドと相談事をして、
すぐにどこかへ行ってしまう。
スキンヘッドと2人、
会話が弾む、
訳はなく演奏を聴きいる。
ビールを追加。
お金を払おうとすると、
受け取らない。
結局ご馳走になった。
このオヤジ何者なんだろうか?
宿に帰り、
宿で飲んだビール代を聞くと、
4本で16元。
棚にはもう一本あり、
それを飲むと20元ちょうど。
飲み直す。
ママは呆れてどこかへ行ってしまった。
ビールを飲み干し、
心地良い眠りに落ちる。
こうしてツアーの長い2日間は幕を閉じた。
一人旅では中々出来ない体験だったと思う。
たまにはツアーに参加するのも悪くない。
6時にロビーに下りるが誰もいない。
6時に宿の人が起こしに来てくれる。
6時起床だったようだ。
6時過ぎから朝食。
麺類とお粥と饅頭。
大量に残る。
7時ごろ出発。
ロープウェイで石卡雪山の頂き(4300m)まで行くらしい。
一応ジャージの上着は持っているが、
足元はサンダルで靴下もない。
バスはアウトドアショップみたいなところで停車。
これから山に行く人で一杯。
靴下を買ってバスに帰ると、
鷹が「酸素を買え!!」という。
そんな高所へ行くのかと少々ビビル。
確かに富士山よりも高いところへ、
ロープウェイで上るということは、
高度順応も出来ない。
高山病になるのは当たり前かもしれない。
60元もする酸素を購入してバスに戻ると、
防寒服を手渡してくれる。
お、こんなサービスがあるんや~と感心。
ロープウェイ駅で模型を使って説明を受ける。
昨夜一緒に飲んだ学生グループと一緒に乗り込む。
すると「壊れていて山頂には行けない」と言う。
どう言う事?
中間駅に着くと、
それより上に行くロープウェイは、
籠がロープから地面に下ろされている。
酸素は何やったんやーーーーー。
防寒服も邪魔。
中間駅には、
みやげ物屋があり、
草原が広がっていて、
ヤクや豚が放牧されている。
初日にバスに乗ったときから、
一際気になるグループがいる。
キャバ嬢みたいな派手なねーちゃん3人と、
40歳ぐらいの太目と細目のオヤジ2人。
ねーちゃんのうち2人は双子で茶髪と黒髪。
バスでは、
黒髪ねーちゃんと太目オヤジが一緒に座り、
茶髪ねーちゃんはもう一人のねーちゃんと一緒、
細身オヤジは一人。
黒髪ねーちゃんと太目オヤジはいちゃついているので、
一応カップルのようだが不釣合い。
細身オヤジはおねーちゃん達と距離がありそう。
ふーーーーん。。。怪しい。。。。。
一人ベンチに座っていると、
茶髪ねーちゃんが隣に座る。
二日酔いで気持ちが悪そうだ。
この子は、
見た目は20歳前半。
でも英語は全く駄目。
筆談をするも、
よく分からない。
でも、乗りが良い子で、
中国語で話しかけてくるくる。
よく見るとめっちゃ可愛い。
ついつい鼻の下が伸びる。
「レッツゴー」と唯一の英語で言うので、
この女性3人と一緒に高原を散歩。
気の利いた言葉の一つでも言えたらと思うが、
全く通じない。
ステージがあり、
ここでも民族衣装を着た人たちが踊りを披露している。
おばあちゃんが高原に椅子と机を並べ、
バター茶やパン、牛乳などを売っている。
茶髪ねーちゃんに勧められるまま椅子に座る。
丸い箱に入ったバターをたっぷりと円筒に入れ、
熱湯を注ぎ棒で突いてバター茶は完成。
山々に囲まれた高原で、
ヤクを見ながら、
民族衣装に身を纏ったおばあちゃんに、
バター茶を振舞われ、
円形のパンとチーズを食べる。
思えば遠くへ来たもんだ。
不思議な感覚になる。
来て良かった。
そう思い、
ねーちゃんの方を見ると、
オヤジと一緒に手を振って帰って行っている。
え~!!一緒に感慨にひたろうと思っていたのにーー:
代わりに鷹が隣に座る。
いらん!!
バター茶は、
こってりとしていて独特な風味。
身にしみる。
おばあちゃんは、
半分ぐらい飲むと、
直ぐに継ぎ足してくれる。
断っても継ぎ足してくれる。
何杯も飲んで、
お腹はタップンタップン。
この店によっていく中国人の観光客も、
何?みたいな顔をしていたので、
チベット文化は中国人にとっても珍しいのかもしれない。
時間になり、
鷹に幾ら払えば良いかと聞くと、
10元と言う。
おばあちゃんはそんなにいらないと、
言っていたが、
10元を渡す。
漢民族と少数民族の関係は、
一般的な暮らしの中ではどうなのだろうか?
と考えるがよく分からない。
少なくとも、このおばちゃん達は、
漢民族の観光客から現金収入を得るという構図はあるのだろう。
ロープウェイで下山。
バスに乗り、
次に寄ったところで、
バスにおばちゃんが乗って来る。
防寒服の回収。
ちゃっかり35元取られた。--;
まあ、そうやろな。
どうりで着てない人がいると思った。
頂上に行けないのに、
酸素に防寒服で金を使って、
腹立つな~と思っていたら、
ロープウェイ代50元は返金された。
昼食を取って、
バスは麗江に向けて山深い道路を走る。
山奥にも集落はあり、
棚田や段々畑みたいな農耕地が見られる。
学校とかどうしているのだろうか。
今まで見てきた都市部と、
これら農村部との格差は、
やはり大きいのだろうか。
トイレ休憩を一回挟み、
バスは4時間ぐらいで麗江へ到着。
ツアーで仲良くなった仲間。
メールアドレスの交換などしながら、
別れを惜しむのかと思ったら、
皆あっさりとしたもの。
ほとんど挨拶もなく順次下りて行く。
キャバ嬢たちも目もくれずに、
街中へ消えて行く。
今晩は一緒にキャバクラで遊びたかったのにーーーーー。
わしはまたまた古城に足を踏み入れ、
ママさんのところへ帰る。
荷物を置きシャワーを浴びて、
ロビーでビール。
やはりここは落ち着く。
そこに欧米人を連れた中国人のおばさんが入ってくる。
ママさんはお客さんだと思ったのか、
せっせとお茶を入れ持て成す。
欧米人は60歳過ぎのフランス人。
おばちゃんはガイドと思われ英語を喋る。
フランス人が行きたがっている所へは、
どうすれば良いか相談に来たようだ。
おばちゃんガイドが、
Haw long kiro?と言うと、
「キロは重さのことか?距離のことを聞くあらキロメートルと言わなければならない」
みたいな事を言い出す。
何やこの偏屈なオヤジは。。。
今時フイルム式のカメラを首に下げて自慢しだすし。
世界には色々な人がいますね~。
「シャングリラは良かったよ。チベット様式のお寺もあるし」
と言ったら妙に納得して出て行った。
何や泊まらんのかい。
旅先の事を聞くなら旅行会社に行け~。
ママさんが「バーに行こう!!」と誘ってくれる。
お、わしに気があるんかい!!と浮かれていると、
スキンヘッドのオヤジも一緒。
近くのバーへ行く。
中庭で生演奏のバンドが入った、
お洒落な飲み屋だ。
ママさんはスキンヘッドと相談事をして、
すぐにどこかへ行ってしまう。
スキンヘッドと2人、
会話が弾む、
訳はなく演奏を聴きいる。
ビールを追加。
お金を払おうとすると、
受け取らない。
結局ご馳走になった。
このオヤジ何者なんだろうか?
宿に帰り、
宿で飲んだビール代を聞くと、
4本で16元。
棚にはもう一本あり、
それを飲むと20元ちょうど。
飲み直す。
ママは呆れてどこかへ行ってしまった。
ビールを飲み干し、
心地良い眠りに落ちる。
こうしてツアーの長い2日間は幕を閉じた。
一人旅では中々出来ない体験だったと思う。
たまにはツアーに参加するのも悪くない。
2011年08月03日
雲南省旅行記その8
ツアー一日目。その弐
シャングリラ。
キャバクラの店名ではない。
ウィキペディア によると、
イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷(ユートピア)の名称。
中国にあるシャングリラ県は、
2001年に中甸(ちゅうでん)県から変更したらしい。
シャングリラは架空の地名なので、
中国得意のパクリか。。。。
香格里拉と書く。
山々に囲まれた高原に、
馬や牛が放牧され、
所々でタルチョー(五色旗)がはためき、
独特の民家が点在している。
この民家は、
勾配の緩い切妻の屋根が乗った、
総二階の建物なのだが、
裾の方が少し広がっている。
つまり、壁が垂直ではないのだ。
安定感があって美しい。
チベット族が暮らしているのだろうが、
民家としたら凄く立派である。
こんな家を建てる財力は何だろうかと考えるが良く分からない。
産業は畜産ぐらいしか思いつかない。
見る限り田畑もなければ、
大木もない。
現在は観光に懸命になっていることは、
県名を変えたことでも分かる。
賢明な選択なのだろう。。。。。。
新しく作っている民家も多く見かけたが、
ほとんど同じデザイン。
ここも規制があるのかもしれない。
中国が桃源郷と言うだけあり、
明媚なところだ。
この辺りで下車して、
ゆっくりと散策でもしたかったが、
ツアーではそうはいかない。
バスはお寺に到着。
資料館に入り、
施設の人の説明があるが、
勿論分からない。
その後、部屋へ通され、
手相占い。
中国人も好きだね~。
真剣に聞いている。
わしは辞退。
広場に牛がいる。
体全体を直毛に近い長い毛が垂れ下がっている。
角が凄く立派。
牦牛と書く。
帰ってから気がついたが、
あれが有名なヤクだったのか。
つづいて、バスは香格里拉市内に入る。
ちょっとした街だ。
標識などに中国語だけでなく、
タイ語に近い文字が見られるようになる。
チベット文字。
お土産などが売っている施設に到着。
専用のバスに乗り換える。
ツアーに申し込むとき、
パンフレットを見ると、
まだ見ぬポタラ宮を彷彿とさせるお寺の写真が掲載されていた。
松賛林寺(ソンツェリン寺)。
チベット仏教様式のお寺だ。
バスの車窓からお寺の全貌が見える。
小高い丘に建つ寺院は圧倒的な迫力で迫ってくる。
頂には3棟からなる寺院。
丘腹には埋め尽くすように、
廃墟とかした土壁でできた小さな建物が密集している。
丘全体が大きな建築物みたいである。
現在は修復工事が進んでいるが、
長く人が住んでいなかったような感じがする。
寺院中央から真っ直ぐに下りている石段を、
上って行く。
丘腹に建つ小さな建物は僧侶が住んでいた家のようだ。
興味深いのが屋根。
中央に向かい緩い傾斜がついていて、
樋が外壁から1mぐらい突き出ている。
中に入れなかったので詳細は分からないが、
雨は屋根中央に集められ、
部屋の中央から壁に向かう樋に受け止められ、
外に排出されているのだろう。
建築屋からすれば、
室内に雨を集めることは、
好ましくないと思うのが常識。
何故このような雨仕舞いをしているのだろうか。
寺院の中に入る。
雑多な感じ、
まあ、普通。
お布施をして、
お祈りをすると、
坊さんが後頭部を、
棒のような物で撫でてくれ、
数珠を手渡してくれる。
縁起物だと思い10元を払い、
頭を下げ数珠を貰う。
坊さんはお金の溜まった箱から、
5角(0.5元)とか1角とかの小額紙幣を取り除いていた。
まあ、そんな小額では元も取れないだろうが。。。。
独特な寺院様式。
袈裟は赤に近い茶色
マニ車もある。
同じ仏教寺院でも日本ともタイとも違う不思議な雰囲気。
余り厳かな感じはない。
あの五体投地をする人は見られない。
いつかチベットの聖地カイラス山で、
五体投地で巡礼をする人々を見たいと思う。
スケッチをしていると、
ツアー参加者が周りにいない。
どこに何時に集合か聞いていない。
誰か声ぐらいかけてくれれば良いのに。。。。
2人組みを見つけ、
一緒にツアー用のバスまで戻る。
我々が最後。
その後は空港近くにある、
郊外のホテルへ。
ツアーは宿探しをしなくても良いので楽。
部屋でゆっくりすることもなく食事。
バスに乗りどこかに出かける。
着いたところは郊外にある2階建て木造家屋。
外観からは食堂には見えない。
村の集会所といった感じ。
村の長老と思われるおばあちゃんが、
一人一人にマフラーみたいな布を首に掛けてくれ、
歓迎してくれる。
チベット族の村なのだろう。
2階に案内されると、
そこは広間があり、
それを囲むように、
大学の大講義室にあるような、
長机とベンチがある。
客はわしらのツアー客だけでなく、
数団体が一緒。
200人ぐらい入るだろうか。
わしは一番後ろの端に座っていると、
バスの中で通訳をしてくれた学生とは違うグループの女子学生が隣に座る。
この子も英語を喋る。
数人の男性も仲間。
まずバター茶が振舞われる。
独特な味わい。
初めて飲んだ。
そして、チーズ。
塩辛い。
癖がある。
麦焦がし。
口に含むと、咳き込む。
(今少し調べると、チベット族の主食で、
どうもバター茶を加え捏ねて食べるらしい)
徳利みたいな焼き物には酒が入っている。
白酒みたいな焼酎で、
結構強い。
お猪口に注ぎ、
「カンペイ」と学生たちと乾杯しながらグイグイと飲む。
子牛の丸焼きが出てくる。
バスの中で、
鷹が何かを説明したと思えば、
皆からお金を徴収し始めた。
学生に聞くと、
特別に牛肉料理を食べたいなら追加料金が必要らしい。
80元もするが、
皆払っているので、
嫌とは言える状況ではない
その料理だ。
味付けされてない肉の塊。
机に用意されている調味料をつけて食べるが、
そんなに美味しいものでない。
今、思えば牛ではないのかもしれないな~。
広間では、
民族衣装を纏ったチベット族の伝統的な歌や踊りが繰り広げられる。
毎日大勢の観光客を迎え入れているのだろう。
慣れたもので、
会場は多いに盛り上がる。
乗りの良い客は一緒に踊っているので、
わしも学生を誘い参加。
我々と同じツアー客のキャバ嬢も踊っていたので、
一緒に盛り上がる。
飲んで食って踊って鑑賞して、
なかなか面白い。
一人旅ではこんな体験はまずできない。
こんな所があることすら分からないだろう。
バスで宿に帰ると、
鷹が明朝は6時だと言う。
早。。。。
女子学生は酔っていて、
彼氏に抱きつきキスをしている。
ええなーーーー。
宿の周りには何もない。
ツインの部屋で一人就寝。
シャングリラ。
キャバクラの店名ではない。
ウィキペディア によると、
イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷(ユートピア)の名称。
中国にあるシャングリラ県は、
2001年に中甸(ちゅうでん)県から変更したらしい。
シャングリラは架空の地名なので、
中国得意のパクリか。。。。
香格里拉と書く。
山々に囲まれた高原に、
馬や牛が放牧され、
所々でタルチョー(五色旗)がはためき、
独特の民家が点在している。
この民家は、
勾配の緩い切妻の屋根が乗った、
総二階の建物なのだが、
裾の方が少し広がっている。
つまり、壁が垂直ではないのだ。
安定感があって美しい。
チベット族が暮らしているのだろうが、
民家としたら凄く立派である。
こんな家を建てる財力は何だろうかと考えるが良く分からない。
産業は畜産ぐらいしか思いつかない。
見る限り田畑もなければ、
大木もない。
現在は観光に懸命になっていることは、
県名を変えたことでも分かる。
賢明な選択なのだろう。。。。。。
新しく作っている民家も多く見かけたが、
ほとんど同じデザイン。
ここも規制があるのかもしれない。
中国が桃源郷と言うだけあり、
明媚なところだ。
この辺りで下車して、
ゆっくりと散策でもしたかったが、
ツアーではそうはいかない。
バスはお寺に到着。
資料館に入り、
施設の人の説明があるが、
勿論分からない。
その後、部屋へ通され、
手相占い。
中国人も好きだね~。
真剣に聞いている。
わしは辞退。
広場に牛がいる。
体全体を直毛に近い長い毛が垂れ下がっている。
角が凄く立派。
牦牛と書く。
帰ってから気がついたが、
あれが有名なヤクだったのか。
つづいて、バスは香格里拉市内に入る。
ちょっとした街だ。
標識などに中国語だけでなく、
タイ語に近い文字が見られるようになる。
チベット文字。
お土産などが売っている施設に到着。
専用のバスに乗り換える。
ツアーに申し込むとき、
パンフレットを見ると、
まだ見ぬポタラ宮を彷彿とさせるお寺の写真が掲載されていた。
松賛林寺(ソンツェリン寺)。
チベット仏教様式のお寺だ。
バスの車窓からお寺の全貌が見える。
小高い丘に建つ寺院は圧倒的な迫力で迫ってくる。
頂には3棟からなる寺院。
丘腹には埋め尽くすように、
廃墟とかした土壁でできた小さな建物が密集している。
丘全体が大きな建築物みたいである。
現在は修復工事が進んでいるが、
長く人が住んでいなかったような感じがする。
寺院中央から真っ直ぐに下りている石段を、
上って行く。
丘腹に建つ小さな建物は僧侶が住んでいた家のようだ。
興味深いのが屋根。
中央に向かい緩い傾斜がついていて、
樋が外壁から1mぐらい突き出ている。
中に入れなかったので詳細は分からないが、
雨は屋根中央に集められ、
部屋の中央から壁に向かう樋に受け止められ、
外に排出されているのだろう。
建築屋からすれば、
室内に雨を集めることは、
好ましくないと思うのが常識。
何故このような雨仕舞いをしているのだろうか。
寺院の中に入る。
雑多な感じ、
まあ、普通。
お布施をして、
お祈りをすると、
坊さんが後頭部を、
棒のような物で撫でてくれ、
数珠を手渡してくれる。
縁起物だと思い10元を払い、
頭を下げ数珠を貰う。
坊さんはお金の溜まった箱から、
5角(0.5元)とか1角とかの小額紙幣を取り除いていた。
まあ、そんな小額では元も取れないだろうが。。。。
独特な寺院様式。
袈裟は赤に近い茶色
マニ車もある。
同じ仏教寺院でも日本ともタイとも違う不思議な雰囲気。
余り厳かな感じはない。
あの五体投地をする人は見られない。
いつかチベットの聖地カイラス山で、
五体投地で巡礼をする人々を見たいと思う。
スケッチをしていると、
ツアー参加者が周りにいない。
どこに何時に集合か聞いていない。
誰か声ぐらいかけてくれれば良いのに。。。。
2人組みを見つけ、
一緒にツアー用のバスまで戻る。
我々が最後。
その後は空港近くにある、
郊外のホテルへ。
ツアーは宿探しをしなくても良いので楽。
部屋でゆっくりすることもなく食事。
バスに乗りどこかに出かける。
着いたところは郊外にある2階建て木造家屋。
外観からは食堂には見えない。
村の集会所といった感じ。
村の長老と思われるおばあちゃんが、
一人一人にマフラーみたいな布を首に掛けてくれ、
歓迎してくれる。
チベット族の村なのだろう。
2階に案内されると、
そこは広間があり、
それを囲むように、
大学の大講義室にあるような、
長机とベンチがある。
客はわしらのツアー客だけでなく、
数団体が一緒。
200人ぐらい入るだろうか。
わしは一番後ろの端に座っていると、
バスの中で通訳をしてくれた学生とは違うグループの女子学生が隣に座る。
この子も英語を喋る。
数人の男性も仲間。
まずバター茶が振舞われる。
独特な味わい。
初めて飲んだ。
そして、チーズ。
塩辛い。
癖がある。
麦焦がし。
口に含むと、咳き込む。
(今少し調べると、チベット族の主食で、
どうもバター茶を加え捏ねて食べるらしい)
徳利みたいな焼き物には酒が入っている。
白酒みたいな焼酎で、
結構強い。
お猪口に注ぎ、
「カンペイ」と学生たちと乾杯しながらグイグイと飲む。
子牛の丸焼きが出てくる。
バスの中で、
鷹が何かを説明したと思えば、
皆からお金を徴収し始めた。
学生に聞くと、
特別に牛肉料理を食べたいなら追加料金が必要らしい。
80元もするが、
皆払っているので、
嫌とは言える状況ではない
その料理だ。
味付けされてない肉の塊。
机に用意されている調味料をつけて食べるが、
そんなに美味しいものでない。
今、思えば牛ではないのかもしれないな~。
広間では、
民族衣装を纏ったチベット族の伝統的な歌や踊りが繰り広げられる。
毎日大勢の観光客を迎え入れているのだろう。
慣れたもので、
会場は多いに盛り上がる。
乗りの良い客は一緒に踊っているので、
わしも学生を誘い参加。
我々と同じツアー客のキャバ嬢も踊っていたので、
一緒に盛り上がる。
飲んで食って踊って鑑賞して、
なかなか面白い。
一人旅ではこんな体験はまずできない。
こんな所があることすら分からないだろう。
バスで宿に帰ると、
鷹が明朝は6時だと言う。
早。。。。
女子学生は酔っていて、
彼氏に抱きつきキスをしている。
ええなーーーー。
宿の周りには何もない。
ツインの部屋で一人就寝。